自分

ゆっきゅんオフィシャルブログだよ

#ゆっきゅんミスiD2017日記 6/7-6/13

 
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↓これ二次審査の撮影前の顔がヤバめの自撮り、フリルが裏向きすぎて は?こっちを向いて好きだと言ってくれないと死んじゃうもんねという感じになってこの10秒後に僕とスタッフさん2人は両面テープでフリルを固定します。ありがとうございました。
 
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6/7 

詳細の書類が届く。緊張する。(ちなみに僕はどのステージも毎回ものすごく緊張するし不安) いま書類通過で今週二次審査でセミファイナリストの発表が来月なら今月は何をして過ごすんだろう 先は長い、できるだけ長く。
 
6/8
特集上映ロメールと女たち、「クレールの膝」を楽しめない。ひとたびフェミニズム的な視点を得ると、純粋には楽しめなくなる映画があり、それは構造の真理が見えるようになったというだけのことなのだが、しかしながら名作とされる映画には必ずどこかに評価され続ける理由があるのであって、拒絶で終わらせてしまうことには貧しさを感じるので、男性中心に描かれた映画の愉しみについてどう折り合いをつけていくかというのが今後の課題だ。対して男性の一人称で描かれない「海辺のポーリーヌ」は超面白いと思えたから、ロメールの問題ではなく、男性の一人称で自分優位に描かれることが男性優位の印象となり私に届いているだけなのかもしれない。
 

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海辺のポーリーヌ」はノルマンディーに避暑に訪れたポーリーヌといとこの美女マリオン、そして海辺で出会った男たちとの数日間の恋愛騒動を描く。記憶。
 
エリックロメール監督はバカンス映画ばかり撮っている。映画が夢であるなら、最も相応しいのはバカンスのロマンスではないか。夏休みが終わるように、夏の恋は終わる。海辺で始まる恋を安心して見られるのは、きっと終わりに向かうだけだと始めからわかっているからだよ。ああ、J-POPにも君の心にもたしかに「あの夏」がありましたね。中学生の夏休みの宿題です。あの夏から帰ってきた君の顔を忘れない。
 
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6/9
映画評論家の先生が写真集「夢じゃない」を購入してくださって、写真家と二人で感想を聞いた。生きづらさを表現しているのでもなく、ただ面白がってやっているわけでもないのが良いと言ってくれた。辛辣なことも結構言われたのが有難かった。僕は芸術家ではなく、作品と自分は離れる事がない。写真集を見てくれる人はほとんどが元々ゆっきゅんのことを好きでいてくれるファンの方であるから、みんな優しい。決してそこに甘えず、世界最高を届けられるようにがんばっていきたいと思った。
 
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6/10
映画ゼミの発表が終わってありえない眠さに襲われる。気絶寸前、まるで男性アイドルと接触した後のような、心臓の緊張の長い持続が突然絶たれた時の眠さ。
 
6/11
おはようございます。二次審査、動画撮影の当日が来てしまった。昨日まで何をしようか色々と考えてはいたけど、言うセリフを結局当日の朝に書いた。自分の場合、言いたいことただ言うと重いなと思ったので演劇ぽい体を取ろうと思った。何をするかということは本当に迷っていて、来週が審査だったなら変わっていたと思う。参考にと思い昨年以前の動画を見てわかったのはすべきことではなく、自分がすべきでないことだった。
 
・つまらない過去を語って泣く
・謎の強気
キチガイアピール
・オタクアピール
・普通アピール
・無理をする 嘘をつく
・中途半端な不幸自慢
・セーラー服/スク水
・下手な絵
 
ほとんど「無理をする、嘘をつく」ということの具体例を挙げたようなものであって、オタクアピールはそれで生きていく覚悟が必要な感じがするし、スク水着るなら黒宮れいを超えなければいけない。こんなこと関係なく何やったってすごい人はすごいし、可愛い人は可愛いという魅力があるからすごい。自分はそうではないと分かっているので自分なりにできることを頑張らないといけなかった。あのツイートが予想以上に拡散されてしまってそういうお前は一体いかほどの事をやったんだと思われていると感じて怖いですが、気になる方は動画の再生回数が選考基準となるらしいので見てください。緊張した。
 
 
 
6/12
いちごの指輪を忘れてしまった
 
6/13
朝早く起きて準備をして家を出るべき時間になってよし行くぞと思って雨音に耳をすませて寝ていた。Twitterを見ていたら気が滅入ってくる、僕の場合外に出て音楽を聴けばだいたい解決する。部屋、とくにベッドには邪気が立ち込めているのだろうか。浜崎あゆみさんの歌を聴くとクゥーッとなって燃える。身も心もボロボロになっても走り続けることを選択してしまったあゆが「そうね私には幸せな結末など似合わないことも誰よりわかっている」と歌う。本当に大切な物以外全て捨てて、どうか世界で一番幸せになってくださいマジで。
 
YEBISU GARDEN CINEMAは駅の改札から遠い上に雨。「裸足の季節」を見に来た。舞台はトルコ、楽しい生活を送っていたのに古い慣習により家に閉じ込められることになった五人姉妹、花嫁修業を強いられて長女から結婚していく中、末っ子のラーレは逃亡を画策する。ラーレの強い意志(そして圧倒的知性!)、超かっこよかった。君は正しい。ラーレのように自分の力で自由を勝ち取るものばかりではないというのも事実であって、規範を受け入れて生きていかざるを得ない人、助けが必要な人、犠牲となる者、これらの存在も描かれる。どうして女性というだけでこんなに自由が奪われないといけないのか、悲しい。古く悪しき慣習を重んじる男性社会の象徴、5人姉妹の叔父はどこまでも最低な存在として存在し、彼からの逃亡は男性の支配する社会構造を蹴散らすことに他ならない。しかし、逃亡を手助けしてくれるのは優しい男性だった。さよなら男どもじゃない。こんにちは男たち、共に生きていきましょう。
 
音楽がよかったのでサントラほしい。
 
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#ゆっきゅんミスiD2017日記 5/31-6/6


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6月は毎年ヤバイことが始まるんですが今年はミスiDでした🐇


5/31 
ミスiD書類通過のメールが。ほっとした。出す前から今年はなんとなく通る気がしていた。勤務時間中に即ツイートした。おおくぼけいさんも書類通過したらしい。ミスiD、タイミング間違ってないなと思う。ぼくとけいさんのツイートは瞬く間に拡散され、ミスiDウォッチャーの方々は男がミスiDになる権利を得たことに賛否両論プチ炎上していた。来たか!と喜ばしく思ってくれる人も多かったが、受け入れない姿勢の人も多く 主な反発/疑問としては「まだ見ぬ女の子を発見するミスコンなんだから男根のついてない生き物を選べ」「応募資格に女って書いてあるのになぜ?嘘じゃん」「女を落としてまで男を選ぶなんて!」という感じ。女を落としてまで〜、というのはミスiDになっても面白くないって書類だけの時点で判断された人が落ちて、女であろうと男であろうとミスiDになったら面白いかもしれないと思ってくれた審査員がいたから通るだけだと思うので論外。あと応募資格で諦めるオーディションとかあるんですか、私は選ばれないと思ってもやりたくて出せるなら出す。とにかく女性を選べ、というのにはがっかりする、なぜなら今までのミスiDには生物学的に女性、女の子であるということ(他にあるなら若さ)しか価値を持っていないように見える人間が評価されてきた節があるから。もちろんグランプリ準グランプリとかになる人々はそれだけではないのだけれど、ぼくはそれに嫉妬していたし「女ってだけじゃねえか!」と思うこともあった。これからのミスiDはもう女の子ってだけでは戦っていけないという審査員からの意思表明として受け取った。言いたいことがたくさん出てくるけど、ジェンダー的な発言は誤解を解くくらいの最小限に控えて、女の子と同じようにがんばりたい。男というのは強烈なフックになるけど、男なのに!?をいつまでも利用するのはぼくのやりたいことじゃない。美しさと面白さと生き様で勝ちたい。自分以外との戦いに興味ないけど、勝ちたい。

6/2 
昨日ぼくがここに書いたような議論はとっくの昔に誰かがやってるし時代遅れで性別に視線がいくのが不快、というツイートを見かけたが概ね同意 しかし性について進んだ考えを持っている人でも「誰かが言ってた」という認識であるなら「ゆっきゅんがやってた」という認識に変えていくまでだ。

ミスiD関係なくぼくは個人で約2年、モデル、ライブ、演劇、写真集やグッズの制作などの活動をしてきた。自分を希望としてくれる人がいて、何も一から説明しなくても好いてくれる人はいる。心から感謝しているし支えられている。でも、ファンのためだけに活動してはいけないと思っている。ファンの方と自分のためももちろんあるけれど、やりたいことしかやらないけど、まだ見ぬ人に届くよう社会に向けて活動していくことが大事なのだと考えている。いまミスiD2017のスタートラインに立って、それだけで、見てくれる人興味を持ってくれる人が増えている。わかってくれる人がわかってくれればいいと、思いたくない。雑な認識じゃないゆっきゅんが一人一人に届くように、誰かの何かの起点になれるように、いつかきっと私なりのすごい方法見つけたい。

6/3 
ミスiD応募したのはジェンダーを超えたいとかではない。それはもう自分の中では解決しているというか、冷静に考えれば誰でもわかることだが、ジェンダーフリーのずっと前にも後にも「生きたいように生きたい」という思いのみがあり、自分らしく生きることが図らずしてジェンダー云々を孕むことになってしまっているという感じなのだ。ミスiD2017に応募した理由としては 個人の活動をしていく中でもっと多くの人に見つけられたいと思い、待ってる人が多そうな場所に出る必要があったからと これから生きていくために大好きな審査員の方から客観的な指摘を受けたかったからというのがある。自分だけで考えるのには限界があった。山戸結希監督にラブレターを書かれたかった、大森さんの愛で見つめられてみたかった。審査員だけじゃなくて、ミスiDに注目している人がゆっきゅんをどう見るのかも、気になる。

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6/4 
クソリプとか来るようになるかと思ったけど全然こない 最高 民度高い♡

6/5 
反響は思ったよりすごいけど、まあ書類通過しただけなのでね…😅という気持ちでいたらミスiDの友人にも書類通過しただけだしねと言われて、そう、書類通過しただけなのだよとなったね

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6/6 深夜、二次審査自己PR動画で何をすれば良いのかすごい悩む。ツイートしてで出来ることをやっても意味がないなと思う。動画でしか伝えられない自分てなんだろう、歌うかなあ、動くかなあ、どうするかなあ。


2016-5-22くらい


あ、ブログの続きを書かなきゃと思いつつ、ツイキャスやろうと思いつつ、撮影、キャッシュカードを失くしてあたふた、速度制限開始、Windows勝手にアップグレードされた挙句インターネットに繋がらなくなる、などの言い訳によって特に何もできていないのだが、僕は今週21歳になるのだな。イベントなんて来てくださいと言われたから行くというものでもないし、ましてや自分の誕生日を祝いに来い(生まれて生きていることへの感謝を捧げに来い)とはなかなかいいづらいもの。誕生日は特に関係なく面白いイベントにするつもりなので来てくれるみなさんはお楽しみにね。あ、聖誕グッズは気合い入れて作ってもらったので物販は買ってください。


おとといはパルコのパーティーがあって、だいすきなh.t.maniac MENというブランド(天使とかフリルとかシャツだいたいここのだよ)を見たあと外に出たらショーをやっていて、友達が「あんなに小顔だったら人生楽しいだろうなあ」と言った。いや、どうだろう。小顔の人は「アーッ今日も顔が小さくて人生楽しい✨」となるだろうか。それはきっとエステ小顔矯正あるいはボトックスを注入したとかで、小顔に生まれた人ではなく小顔になった人にこそある感覚ではないだろうか。小顔の話だけじゃなくて、そういうのってあるよね。自分が持っているものと他人が持っているもの。



ああ、遅くなりました工藤ちゃん生誕ありがとう。詩のようなものを読んでみました
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定義は知らないけど、詩っていうのは自分の気持ちを述べるってわけではないということがわかってきたから気が楽になった。自動筆記的な部分が大きいし、自分のことってわけじゃないし、ひとつの詩がひと思いのことじゃない。僕はやっぱり、やってみてからじゃないとわからないことばかりだなどの思う。

自分の歌の作詞がしたいという気持ちにようやくなってきた。今までは怖かった。しかしまあ浜崎あゆみつんくさんも秋元康大森靖子さんも小林愛さんもいるこの世で自分が何を書くんだよ、というのは本気で思うけど。




完全にやばい雨の夜 君と会おう
家の近くの、行ったことのない、思い出のない公園で何も思い出さずに踊るワルツ 
タコが見てる

1人で自分をやること①

 

 

BOYFRIENDというZINE、解説とかなくかわいいかっこいいとかで楽しんでもらいたかったのであんまり言ってこなかったんですが、やっぱり言っとく。と、それ以降いまの自分について。

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どっちも表紙でどっちもBOY、半分ずつ違う衣装を身に纏ったゆっきゅんが同じデートコースをゆく。表紙が朝で真ん中は夜。ゆっきゅんとデートしているようにも見えるけど、真ん中のページ、夜の観覧車で向き合っているのはゆっきゅんとゆっきゅんで、結局自分と向き合っているだけといういつものオチだね。

 

年末に発表した「夢じゃない」では当時の自分自身の感情や欲望と向き合って、男子高校生の格好をするのも、振袖やウェディングドレスを着るのだって、全てが自分で、僕には夢なんかじゃないということを宣言した。自分のために超必要な作業で、色んな自分に出会えて新しい場所に行けたなと思った。

 

そのあと、夢じゃないを見ていて、戦意むきだしの目が怖いなと思って今度は距離感の近い朗らかなZINEをつくろうと思って作ったのがBOYFRIEND。

 

距離感が近いといえば恋人でしょう、デートなんてしないけどそういうことに挑戦しようと思った。メンノン男子大学生ゆっきゅん(普段のゆっきゅんとは遠い)とかわいい服を着た男の子ゆっきゅん。二人の関係性と個人の設定はゆっくり時間をかけて考えた。2月は坂口健太郎さんに心酔していたので、1週間でメンズノンノの坂口健太郎さん表紙号を集めるなどの芸当をして、理想の男子大学生の設定としては大学の哲学科でどんな音楽が好きで自意識とかなくて、みたいな。かわいい方のゆっきゅんは楽に考えられたけど、理想の男子大学生、ぼくだって男子大学生なのに、その要素すら他者でしかないことに気付いて心を痛めたりした。大学生の服は持ってないからシャツもパンツも靴も買った。だからコスプレです。マジの自分の虚像をつくりあげてそれに恋しようとしていたそれは病気だと思う。

 

先にそのメンノンボーイの撮影をした。自意識が指先まで行き届いてしまっているぼくはアイスをどうがんばっても可愛く食べてしまうので大変だった。足、ひじの開き方、手、どれも力と意識を抜くのがかっこよさなのか…と学んだ。(少年アヤさんの著書にもこんなことが書いてあった気がする。)イケメンに関する知識が尋常ではないフォトグラファー梅谷英恵さんと撮影するのは有意義で楽しかった。別日、かわいい方も難なくたのしく撮影した。出来上がった写真を見て、男子大学生になれたなと思った。

 

夢じゃないを作ったあとに気づいたのは、ウェディングドレスやロリータを着てる写真は自分自身の意志が強く写真に現れているということと、男子高校生と美少年の写真は擬態でしかないということだった。自分はそれにもなれるけど、それはなりたい自分であって、自分の中にあるものではなかった。BOYFRIENDでも同じで、男子大学生の自分は自分だけど、自分から出てきたものではなかった。

 

ぼくは前からポップアイコンになりたいと公言していて、なんだそれはと思っている人もいるかもしれない。僕は既成の社会的性別から見ればいびつで、見づらいだろうしわからないだろうし、困惑する人もたくさんいるのは知っている。誤解されるし変な質問をされるからジェンダーがどうのということを発言することもあるけど、それは必要に迫られてしているだけという感じで、僕の仕事は社会活動じゃない。「男性なのに○○」みたいな切り口を、ポップに可愛く美しく気高く超えていきたい。そのためには「ゆっきゅん」というある程度定まったイメージが必要なのに、いまのゆっきゅんはバラバラに拡散してしまっているということに、ようやく気付いた。セーラー服を着ていたころ(そんな時代がありました)はわかりやすかったなーとも思った。

 

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明日(たぶん)につづく。

 

2016-5-12


🎂
ゆっきゅん生誕5/26木20:00-阿佐ヶ谷ロフトぴろよ根本さんウシさんとやります発売してます、チケットはイープラスかロフトにメールで。来てくださあい


今日は大学を卒業した二個上の着付け師の友達と久しぶりに会って、連れ回した。ラフォーレ原宿2Fで開催されているiromono marketへ苅澤さりかさんのブランド whitelillyのお洋服が見たくて行ったら、試着させていただけるとのこと。脚が太く見えるのはマネキンが細いせいと細い足首が隠れているせいです。

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超可愛強
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かっこいい
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戦士
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神聖

魂宿ってる服って着てて本当に楽しい。強くて、強くしてくれて、着た途端 守らなきゃいけないもののことを考える。さりかさんありがとう

他の作家さんの雑貨やお洋服もかわいくて幸せなiromono marketは15日まで。



そのあと、毎年恒例のバラ園撮影の衣装を考えに古着屋に行ったりしてたらまもなく授業の時間になっていてあらあらワンメータータクシー割り勘して大学行ったのに教室まで行って授業に出ないという暴挙をしたのでここに懺悔します。


カラオケに行って明日の練習と曲を考える。カラオケは自分の歌/そうでない歌の仕分けとして重要。歌ってみて、あまりにも(気持ちが)歌いやすい歌というのがあり、そうかな?と思ってもそうでないのが多い。カプチーノとか可愛い歌もライブでやってみたいのに自分の歌じゃないことが悲しい。湿っぽい歌しかうまく歌えねえー、空が割れれば、いいの。


イメージのリスタートのことは明後日くらいに書きます。明日、工藤ちゃん生誕に来てくださる方は工藤ちゃんを祝いつつ、僕の物販にも来てくださると生誕グッズの入金で野垂れ死にかけのぼくに光が差します。よろしくお願いします。

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ぴろよさんはソウルにいるらしい。生誕出演者のLINEに食べてるカニの写真が送られてくる。

2016-5-11



ここ数日、朝起きると生誕で発売するグッズのデザイン案が何個も送られてきて、僕がいいね!と要望を伝えて、の繰り返しで、3月の企画段階から撮影デザインまでわがままを聞いてもらって最高のTシャツのデザインができた。散らしてくれてありがとういつもありがとうスズキハルヒ!センス!技術!
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王子様ゆっきゅんのBIRTHDAY TEA PARTY、気をおかしくしてまで って感じだね。前面がフルグラフィックで裏は真っ白のTシャツです。30枚限定で5000円、原価の問題で高くなってしまうけど価値はあるはずよろしくね。サイズのアンケートのためにTシャツをまず公開したんだけど、あとステッカーシート(A4にゆっきゅんのシールがたくさん…♡)と缶バッチも作るので、生誕に来てくれる方 通販を心待ちにしてくださる方 お楽しみに。

ところで、いま出発点という感じがする。何をするにも毎回そんな気はしてるけど。夢じゃない、BOYFRIENDを経て、いま。明日書きます。


生誕、正式名称「ゆっきゅんと増田ぴろよの可愛さと可哀想さで少しだけ阿佐ヶ谷が変えられたらいいのに。Vol.2〜ゆっきゅん聖誕祭〜」のチケットが発売されましたのでこちらからよろしくお願いします。http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010163P0108P002190858P0050001P006001P0030001

5/26木曜日開演20:00前売¥2000阿佐ヶ谷ロフト、出演は僕とぴろよ、ゲストで根本宗子さんと川畑usi智史さんです。21歳になる。

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ていうかとうとう明日が久しぶりのライブだ緊張する。何をしようどうしよう。楽しんでいこう。オリジナル曲はアレンジがまだできていないこともあって、工藤ちゃんが伴奏してくださるという贅沢。


あ、しゅくふりまたのしかったよ
ありがとう💮

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ミスiDに応募した。

浜崎あゆみの孤独と絶望

(2015年夏に大学の学科の会報に何書いてもいいからって言われて書いたんだけどかなり穴があるし足りないし孤独孤独ってほかに言い方ないのかって感じなので字数制限のない場所で丁寧に書き直したい今書くならセルフストーリーという視座がもっと出ると思う)

 

 

 浜崎あゆみといえば日本のゼロ年代を代表する歌姫である。1998年にデビュー、その美しさと楽曲によりまもなくブレイクし、「ayu」として当時のギャルたちにとってのカリスマ的存在となった。活動から17周年を迎えた今も意欲的な活動を続けている。浜崎あゆみの魅力はひとえに歌詞にあると私は考える。彼女は一部のコラボレーション楽曲を除いたすべての楽曲の作詞を担当しているが、その歌詞に共通するのは自身の孤独であり、悲劇のヒロイン気質の自己愛に基づいた自己嫌悪である。絶対に自分が人生の主人公であるという前提で、自身の孤独、絶望、不安、罪深さを歌っている。夢物語を歌わないayuの孤独を、キーとなる楽曲の歌詞から分析していきたい。

 

1.A Song for XXという宣言

 1999年にリリースされた1stアルバム『A Song for XX』の表題曲である「A Song for XX」は、浜崎あゆみの歌詞の世界観を決定づける楽曲であるといえる。この楽曲は母親に向けられた歌であり、幼いころから抱いてきた孤独を振り返る内容になっている。「どうして泣いているの どうして迷ってるの どうして立ち止まるの ねえ教えて」というのが冒頭だ。この詞が示しているのは、とめどなく溢れ出す疑問に答えを持ってきてくれる者はどこにもいなかったということだ。続く「居場所がなかった 見つからなかった」というあまりにストレートで悲痛な少女の叫びは私たちの心に突き刺さる。ラストは「一人きりで生まれて 一人きりで生きてゆく きっとそんな毎日が当たり前と思ってた」と締めくくられる。この楽曲は全体において歌詞が過去形で書かれているのもポイントだ。「居場所がなかった」と今までの孤独な日々を振り返り、その苦しみを詞にすることで居場所がなかった自分を過去のものとみなし、音楽という居場所を見つけかけている自分に希望を見出したかったのではないかと考えられる。しかし居場所を見つけたかのように見えた浜崎だったが、今なおライブではほぼ毎回この歌を歌い続け、孤独を叫んでいるのだった。

 

2.絶望の季節、SEASONS

 2000年の年間オリコンチャート5位を記録し、ミリオンセラーを記録したのが浜崎の代表曲である「SEASONS」だ。ミリオンヒットするJ-POPといえば、愛や夢、希望を歌うものが連想されるだろう。しかし人気絶頂だった浜崎が「SEASONS」で歌ったのは“絶望”ただそれだけであった。この曲がヒットしたなんて、2000年の日本人は何に絶望したのかと心配になるほどだ。

1番のサビは「今日がとても楽しいと明日もきっと楽しくてそんな日々が続いてく そんな日々が続いてく そう思っていたあの頃」であり、2番のサビは「今日がとても悲しくて明日もしも泣いていてもそんな日々もあったねと笑える日が来るだろう」となっている。2番で訪れる少しの希望は“いつか楽しい日が来る”ということではなく、“いつかこの悲しみも笑える日が来るだろう”という希望である。現在進行形の日々に幸せを求めることを諦めた歌なのだ。絶望の果てに残ったのは自分自身だけであり、彼女は孤独に立ち返ることとなるのだった。

 

3.終わらない孤独の秘密、Secret

 ヒット曲ではないが、2006年にリリースされたアルバム曲に「Secret」という楽曲がある。これは浜崎の孤独を考えるにあたって重要な楽曲だ。「A Song for XX」のアンサーソングともいえるかもしれない。「A Song for XX」という直球孤独ソングを発表した以後、彼女はラブソングとみせかけてただ自分の孤独を歌ったり、アッパーな楽曲に笑顔で孤独を忍ばせたりすることが多かった。しかしここでもう一度、自分の孤独と正面から向き合った楽曲を発表することとなった。まず「すれ違う少女たち まぶしくて目を逸らした」と始まる。あれほどに輝かしい栄光を手にしても、浜崎の自己嫌悪は止まらなかった。そして「今もここで私は変わらず居場所をずっと探しています」とサビで歌うのだ。これは「A Song for XX」で「居場所がなかった」と歌ったあの頃と結局何も変わらなかったということ。そして2015年のライブでもこの歌は涙を流しながら歌われている。自分の居場所を探し続けているということは、自分の孤独と向き合い続けているということなのだ。心の居場所だけではなく、アメリカと日本を行き来している生活からも、その居場所のなさは大いに伺える。浜崎の孤独は、どこまでも続いていくのだった。

 

 このように浜崎あゆみの心にあるのはきらびやかな夢ではなく、暑い夏ではなく、現実であり孤独であり絶望なのだ。今回はキーとなる3曲のみを取り上げたが、浜崎の楽曲は多彩に見えてどれも孤独を歌ったものばかりである。「Dearest」も「M」もそうだ。表現されるものが孤独であろうと、孤独と無関係に見えるものであろうと、創作の源は孤独にある。孤独と向きあわない表現者なんてちっとも輝いてはいないのだ。あゆ、どうか幸せになってください。