自分

ゆっきゅんオフィシャルブログだよ

山の向こうの海に言い伝えられる神話があり、それを信じる子どもがいた。

8/8

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今年1番気合の入った撮影だったかもしれない。去年は高校時代の制服を着て海へ行き、ノスタルジーを作った。あの頃のぼくは男子高校生になりたかった。写っていたのはきっと誰にとっても自分自身の、自分だけの話だった。今年も海に行こう、去年とは違う海と自分が見たいけどどうしようかと考えていたところで苅澤さりかさんのブランドwhitelillyのお洋服を貸していただけることに(ありがとうございます)。お洋服のインスピレーション、海、夏、自分、ミスiDなどを関連づけて撮影のイメージを膨らませていく。ベボベPERFECT BLUEが見る宇多田ヒカルのBeautiful Worldで、そしてこの星で生き残るのだな、などと思っていた。撮影の村社さんに加えてゆっきゅんのもはや何でも屋さん(ありがとうございます)をしてくれているハルヒちゃんも来てくれることになりアーアー楽しみ、遠足前日の子ども朝5時就寝。

渋谷に集合、絶対に今まで以上のものを残すって意思が強い人しかいないので良い。昨年の思い出話を終え、海に着いて衣装に腕を通すと、強くなれた気がして、しかしそれは変身ではなく自分自身のままであるというのが嬉しかった。さりかさんの魂の祈りのようなものを身体に帯びる感覚。

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海には浜辺のイメージしか抱いてなかったけれど、でけえ岩があって草原があってキタなコレと思う。海は澄んでいた。撮影が始まると何よりも図像が強く、設定とかよりも皆「そこに在る美しいものをよっしゃ撮る」のモードに入っていたようだった。土曜の死にてえの気持ちも数分前の化粧ノリが悪いマージで無理ヤダアの気持ちも海に流れて寄せては返す快楽の波、全能感の高波よ。どこまでもお姫様でごめんなさい。アスレチックを避けて生きてきたから子どもの頃に木登りだってしたことないのに気づけば裸足でゴツゴツ(痛いよ)の一番高い岩の上に立っている。全て最高だと思った、これがしたくて生きてるんだと思った。親指から血が出ていたのも気付かないまま、もう撮れたのに、太陽の沈み出した空と海を眺めていた。

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うまく撮れなかったけど日の入り目前、撮影も終盤となった頃に空がオレンジ ピンク 紫 水色 になってたのに感動して「見て!空がオレンジピンク紫水色、たくさんの色があって海もピンクですごい、これすごいよねえねえねえ」って言ったら「小学生かよ😅」と言われたけど、小学生ばりの純を手に入れられるほど大変に筆舌に尽くしがたい世界の様子であり、「あゆは空が綺麗すぎてつらいみたいなのよく歌ってきたけどこーれーのーこーとー?」って感じだったな。

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タイ人のいないタイ料理オシャカフェで写真を見ての自画自賛の戯れ言
・山の向こうの海に言い伝えられる神話があり、それを信じる子どもがいた。そんなの作り話だよと笑われた少年は家出して長時間歩いて伝説の岬へ向かうのだった。この時間、あのひとは現れるはずだ、どこかに舞い降りているはずなのだ。このあたりに、、あ、!?少年は言葉を失う。勇気を出して声をかける。「あの、あなたですよね…きっとあなたですよね?」に振り返った時の写真かよ〜w
・海・金髪・神ってこれ菅田将暉派とゆっきゅん派に別れるのでは…?
・民主を導く勝利の女神?ジグソーパズル化っていくらでできる?
・SURREALのMV…?
・空と太陽と俺と海がひとつになってる…?
・地球?
・ただの美人

過言だよ!

(ハルヒちゃんの写真少し届いた)
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お疲れ様〜でそのままぴろよ邸で八丈島装飾のためのキルトの仕上げ作業を手伝う。すごいよ、マジックミラーみたいなブラックホール。一部からは邪悪なもやが可視化されてるのかってくらい出てる。ここに大森さんが立つって、私たち、耐えられるかな。

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キルト完成して、公園でおにぎり食べて肉食べてアイス食べて、積極的に夏の思い出作っていってるなと思った。もうみんな大人だけど。



ハルヒちゃんが撮ってくれた方の写真少し届いた♡


おわり

#ゆっきゅんミスiD2017日記 6/21-27

セミセミファイナリスト時代の日々の記録です。

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6/21

最寄りの改札まで急いで、財布を忘れたと気づき、ゆっくりと家まで戻り、ゆっくりと大学へ向かったので、出席やめて映画を見た。

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万田邦敏『接吻』(2007)。なんの楽しみもなく生きていた女性会社員(小池栄子)が、テレビニュースで見つけた殺人鬼(豊川悦司)の表情に強烈に惹かれ、接近していく。彼の気持ちをわかってあげられるのは私しかいなくて、私の気持ちをわかってくれるのは彼しかいないという確信があった。私はあなただから、あなたも私になってほしかった。しかし彼らが言葉を交わす面会室にはいつだって一枚のガラスによる隔たりがあった。彼女と彼はひとつにはならない、そう宣告された。その絶望と怒りは、隔たりのない一つの空間で出会うこととなった衝撃(と評される)のラストシーンへとつながっていく。恋って障壁なしには成り立たなくて、壁取っ払ったら、死ぬんだ。

小手鞠るいを読んで鬱になったという理由で授業に出なかった友人とカラオケへ行き、「男」「十戒」「好き 好き 好き」を歌った。

 

6/22

夜になるまでなんにもできず、今日はこれをやったというのがなく一日が終わることへの恐怖から、レイトショーへ向かう。黒沢清監督の新作『クリーピー』を見た。元刑事の犯罪心理学者・高倉(西島秀俊)と妻・康子(竹内結子)が新居に引っ越してきたら、隣人の西野(香川照之)とその娘らしき女の子の感じがなんかめちゃ不審で、高倉は未解決の一家殺人事件を調べていく中で西野絶対これやばいのでは?となっていく、サスペンスというかもはやホラーだった。初登場シーンからサイコパス西野が怖すぎて、その庭に吹き抜ける風は不穏で不吉、全ての悪夢の予兆だった。途中から普通にただずっと怯えていた。主婦の言葉にならない鬱憤をミキサー(グリーンスムージーですか?)のゴリゴリ音に委ねているのが、よかったな。

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そのあと、深夜のファミレスで溺れるナイフを読んだ。11月に公開される映画溺れるナイフは山戸結希監督作品でありなおかつ小松菜奈さん菅田将暉さんなおかつジョージ朝倉さんが原作という、夢のような事件なのだけど、実は溺れるナイフ最後まで読んでいなくてやっと読んだ。恋の海に突き落とされたが最後、君は永遠に抗えない光で、全てだった。どうしたって痛みが残る。大森靖子さんの歌を聞きながら読んだら親和性高かかった。パーティードレスとか

 

6/23

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朝から自分のせいで最悪の気分だったところ、デザイナーハルヒちゃんと新宿の純喫茶らんぶるで近況を報告し合って撮影することによって元気になったが、電車に乗っていたら最悪に引き戻され、もうダメだとなり、目的地黄金町駅に到着即ノートにボールペンで殴り書いた「2016年6月23日の最悪構成要素」は30を超えていた。読み返すと構成要素(18)リュックの中身が出しづらい に打消線が引かれているけど全く記憶にない。ていうか最悪が弱い。

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もうダメだってなるたびにiPhoneのメモか手書きのメモに今自分が抱えていることを全部書く。ぼくがもうダメだのときはもうダメなことが重なっていたり散らばっていたり、とにかく多く存在していて、何かよくわからないまま大きなダメだを背負っても、進まない。得体の知れない不安こそ怖いから、ひとつひとつを見る。それだけでも心が少し整理されて前を向ける感じがする。

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沈んだ気分はナルコちゃんに会って全回復した。個展会場のメンテナンスを手伝い、しばらく歩いて坂を上るとヤギがいた。ヤギの散歩をして、またかなり歩いて馬車道の紅茶専門店サモアールに行った。なじみのない土地で何十分も歩き、身体が疲れたのが超よかった。ちなみにはじめて散歩した動物がヤギです。

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6/24


海と映画と恋人たちの関係を思索するにあたり、再び見たくなったのは呉美保『そこのみにて光輝く』。池脇千鶴が好き、ジョゼもきみはいい子も。この作品では幸せなんてとっくに諦めた女性の瞳、身体、髪の毛一本一本の美しさと重みに唸る。

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恋人たちが海に投げ込まれるシーンになぜこんなにも強く心を掴まれるのかといえば、それが映画の喜びそのものだからだろう。映画の魅力の一つとして、カメラを回せば人間の作為を超えたものがどうしても映ってしまうということがある。海を操ることなんて誰にもできない。それは絶えず回り続ける世界への愛であり、意識の解放、肯定である。海に浮かぶ綾野剛池脇千鶴はすがるようにキスをする。自分の力ではどうにもできない苦しみを抱えて生きている二人が、人間の支配を超えた場所に身体を浮かべて愛を求めるというのは、この作品の象徴ではないか。絶望に次ぐ絶望に差せる光は、愛しかないのだった。死にたくなったらこの映画を見よう。

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6/25

シャンソン歌手のような恰好をして、「シバノソウ×さぃもん×ゆっきゅんの不思議な夜」へ向かう。高円寺のマカロニックという洋服屋兼バーで一日店長をさせてもらった。ミスiDの話になり、色んな人から色んな話を聞いて思ったのは、狭い話にしたくないなということだった。クラスで一番頭がよかったあの子は、クラスで一番になることを目指していなかった。大学生だからできることなんて、今すぐやめなさい。ミスiDの中で物事を考えるのは、ぼくは危険だと思った。「レヴィナス、あなたのまっさらな頬を傷つけるのは私でありたい」と述べた山戸結希監督のようでありたい。意識だけでも、宇宙まで突き抜けていたい。

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6/26

母親が東京に来たのに、小中学生ラップユニットのライブへ向かっていた。あー可愛い。その後母親に会って、『きみはいい子』という映画を薦めた。小学生と、小学校教師と、虐待をしてしまう母親と、アスペルガーの子どもを持つ母親のそれぞれの孤独を丁寧に描いた映画だ。母親は自分の事を話さないから、すべての苦しみをわかってあげることなんてできないけど、つらいことがあるのはわかる。それを1人で抱えることが正しいのだと思っているのもわかる。そんなことないのに自分はダメな人間だと思い続けている。誰だって抱きしめられたいときがあって、肯定してくれる人がいれば大丈夫なときがあって、でもそういう話できないから映画薦めといた。見てくれるといいな、あと自分のグッズあげた。

 

6/27

アイドルを見るとこんなに感情が動いて、相手も人間なのに、人間関係が成り立たないから楽なんだなと、自分で言って悲しくなった。


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おしまい

#ゆっきゅんミスiD2017日記 6/14-6/20

二次審査を終えてセミファイナリストの発表を待つだけの私の特にミスiD関連のことは何もなかった一週間の記録だ。しかも当日に書いてない。

 

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6/14

全然小説を読まずに21年生きてきてしまったなという思いがあり、後悔というわけではないし今から読めばいいのだが、子どもの頃児童文学に親しんでいた人って共通の世界に対する純粋さみたいなものがあると感じていて、当然僕にはないもので、それは読んでいたから身についたものではなく先天的にその心があるから親しんでいたということなのかもしれないけれども、なんだか少し憧れてしまうのだった。他人に憧れている場合ではないのに。恋愛小説の文庫本を購入した。

6/15

アルバイト先に届いたananの占い特集を読む。占いはトークテーマとして楽しむ/人生相談くらいに考えているのですぐ忘れる。10パターンくらいある占いをすべて試してみて、星座占いなどよりも生年月日を足したり引いたりして見づらい表で数字を導き出した占いのほうが、当たってると思える確率が高かったのは、少しでも手間をかけたからでしょうか。鏡リュウジの「日付+いま思い浮かぶ数字」という占いでは女神から”欲しいものは戦わずして得られない”というメッセージが届いた。ミスiDに応募したこと、女神にバレている。女神曰く今まさに攻め時だそうですので、がんばらせてください

6/16

友人のペニスアーティスト、増田ぴろよさんとともに別冊根本宗子 第5号「バー公演じゃないです。」を見に行った。根本さんの演劇は、ぼくたちの身に覚えのある笑えない話をエンターテインメントに昇華してくれるのがすごいところだ。今回の公演だって何度も声を出して笑ったけれど、あ、これ、笑えな…ハ、ハハともなった。時が経ち、環境が変わり、それでもつきまとってくるのは自分の罪の記憶。誰に何を言われなくても自分のことを許さない(と思い込んでいる)人物が自分を嘲笑う姿が、自分よりも輝いている姿が目に浮かんでしまう。自分の過去が他人の人生に影響を与えている、あいつは今も自分の事を考えているなどと思うのは、全く自意識過剰である。ひどく共感する。ずっと苦しめられてきた主人公は、遠い記憶からどんどん離れて自分の中で作り上げられたその人物に謝りたいと望む。何のためかといえば自分のためだ。そうだ、謝罪はいつだって自分を許すための行動であった。結局その人物は自分の想像でしかなく、現実とはまるで異なるものということが発覚し、笑えるラストが待っていた。ありがとうございました。

6/17

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ファンレターなんて書いた事がない。読む専門だった。読むのは大好きです、全て保管しています、読み返しています、いつもありがとう。しかし自分のことを知らない人に向けてその人への思いを書くということ、それは手紙に記した言葉でしか自分を知られ得ないということ。この度相手は子どもですから、ポエムを書いても仕方がありません。ていうか体育しか好きじゃない小4が読める漢字って一体どこまで?なにも書けないまま、ドトールは閉店時間を迎えていた。

6/18

応援させていただいている男の子たちの大事なライブが開催されるので早起きして渋谷へ。小学生を見て可愛いと言っている地点は安全で、かっこいいと思いだしたら試合開始。全敗のぼくを笑い飛ばしてください。ところで、歌って踊る男の子たちを応援するのは自分にとって愛のレッスンである。昨年、ある若手俳優に執着し、理想像を作って自分と重ね、狂った夢を見ていた。その夢が現実ではないということに気づいたとき、心は崩れた。あまりにも勝手だった。幻滅という心の反応はもうしたくないの(実は超楽しいけど…)。はあ、本当に好きだったのは君自身ではなく、自分の中の君でした。大変失礼いたしました。そんなわけでぼくは今後、人が、その人自身であることを、そのまま応援するということをしていきたい。自分以外への愛の存在があるか、あるいは生まれていくのか。しかしながらその対象がアイドルでしかないという点が、ぼくの弱さなのでした。ライブは一挙一動が最高でした。

6/19

理性がない。理性がない。昨日のライブに出ていて初めて見て好きになってしまった別のグループのイベントがあり、疲れたし寝坊するだろうし軽率すぎるから行かないと思っていたのに間に合う時間に起きてしまったぼく、千葉県に到着していた。中学二年生、男の別れ道に立った美しい君は「右の前の方で見てくれてましたよね」と言った。まさか、ぼくが金髪にした意味はここにあったのか。金髪であること自体が認知厨のようで恥ずかしい気持ちになったが、ありがたくひれ伏した。写真を撮るとき、どうかハートマークを作らないでほしい、心臓を象らないでほしい、やめて、人類皆の心拍が止まる。

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先週ミスiD審査で緊張していたから、大事な箍が外れてしまったような今週、解放にもほどがある週末。ありあまる生命力をもって、ベッド・インさんのワンマン○おギグへ向かった。ベッド・インさんはすげえ躁の力がある。全ての発言が面白い。かっこいい音しか鳴らさない。かっこよすぎる。誰よりも本人たちが楽しくてやっているというのが最高。何年も活動をしていらっしゃるのに、ぼくの大好きな「期間限定スペシャルユニット感」が永遠に持続している。幸せ。いつか共演できるようにがんばりたい。

6/20

浜崎あゆみさんの新曲『FLOWER』のMV Short versionが公開されていた。「目を閉じて浮かんだのは これまでの歩んだ道」という歌い出しに痺れる。まじか、J-POPにおいて目を閉じて浮かぶのは愛する君の姿じゃねえのかよ。これは私の体感でしかないが、浜崎さんの書く詞に確かな体温を感じるのは自分を語るときだけだ。君への思いを語るよりも、自己をひたすらに内省するとき、彼女の言葉は宝石になる。君=僕の場合もかなりあるので要注意。「花になって棘を持って枯れて散って朽ち果てたい 拾わないで離れてって忘れてって」「鳥になって風に乗ってあの場所を目指したい 痛みもない愛もない向こう側へ」と、サビで歌われる叫びを聞いて、ついに死にたいが出た、と思った。浜崎さんが限界なんてとっくに超えていること、それでも死なない、死ねないことを僕たちは知っている。浜崎さんのことを思うと語りが祈りに近づいてしまうね。今日も美しくてかっこいいです。

 

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#ゆっきゅんミスiD2017日記 6/7-6/13

 
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↓これ二次審査の撮影前の顔がヤバめの自撮り、フリルが裏向きすぎて は?こっちを向いて好きだと言ってくれないと死んじゃうもんねという感じになってこの10秒後に僕とスタッフさん2人は両面テープでフリルを固定します。ありがとうございました。
 
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6/7 

詳細の書類が届く。緊張する。(ちなみに僕はどのステージも毎回ものすごく緊張するし不安) いま書類通過で今週二次審査でセミファイナリストの発表が来月なら今月は何をして過ごすんだろう 先は長い、できるだけ長く。
 
6/8
特集上映ロメールと女たち、「クレールの膝」を楽しめない。ひとたびフェミニズム的な視点を得ると、純粋には楽しめなくなる映画があり、それは構造の真理が見えるようになったというだけのことなのだが、しかしながら名作とされる映画には必ずどこかに評価され続ける理由があるのであって、拒絶で終わらせてしまうことには貧しさを感じるので、男性中心に描かれた映画の愉しみについてどう折り合いをつけていくかというのが今後の課題だ。対して男性の一人称で描かれない「海辺のポーリーヌ」は超面白いと思えたから、ロメールの問題ではなく、男性の一人称で自分優位に描かれることが男性優位の印象となり私に届いているだけなのかもしれない。
 

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海辺のポーリーヌ」はノルマンディーに避暑に訪れたポーリーヌといとこの美女マリオン、そして海辺で出会った男たちとの数日間の恋愛騒動を描く。記憶。
 
エリックロメール監督はバカンス映画ばかり撮っている。映画が夢であるなら、最も相応しいのはバカンスのロマンスではないか。夏休みが終わるように、夏の恋は終わる。海辺で始まる恋を安心して見られるのは、きっと終わりに向かうだけだと始めからわかっているからだよ。ああ、J-POPにも君の心にもたしかに「あの夏」がありましたね。中学生の夏休みの宿題です。あの夏から帰ってきた君の顔を忘れない。
 
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6/9
映画評論家の先生が写真集「夢じゃない」を購入してくださって、写真家と二人で感想を聞いた。生きづらさを表現しているのでもなく、ただ面白がってやっているわけでもないのが良いと言ってくれた。辛辣なことも結構言われたのが有難かった。僕は芸術家ではなく、作品と自分は離れる事がない。写真集を見てくれる人はほとんどが元々ゆっきゅんのことを好きでいてくれるファンの方であるから、みんな優しい。決してそこに甘えず、世界最高を届けられるようにがんばっていきたいと思った。
 
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6/10
映画ゼミの発表が終わってありえない眠さに襲われる。気絶寸前、まるで男性アイドルと接触した後のような、心臓の緊張の長い持続が突然絶たれた時の眠さ。
 
6/11
おはようございます。二次審査、動画撮影の当日が来てしまった。昨日まで何をしようか色々と考えてはいたけど、言うセリフを結局当日の朝に書いた。自分の場合、言いたいことただ言うと重いなと思ったので演劇ぽい体を取ろうと思った。何をするかということは本当に迷っていて、来週が審査だったなら変わっていたと思う。参考にと思い昨年以前の動画を見てわかったのはすべきことではなく、自分がすべきでないことだった。
 
・つまらない過去を語って泣く
・謎の強気
キチガイアピール
・オタクアピール
・普通アピール
・無理をする 嘘をつく
・中途半端な不幸自慢
・セーラー服/スク水
・下手な絵
 
ほとんど「無理をする、嘘をつく」ということの具体例を挙げたようなものであって、オタクアピールはそれで生きていく覚悟が必要な感じがするし、スク水着るなら黒宮れいを超えなければいけない。こんなこと関係なく何やったってすごい人はすごいし、可愛い人は可愛いという魅力があるからすごい。自分はそうではないと分かっているので自分なりにできることを頑張らないといけなかった。あのツイートが予想以上に拡散されてしまってそういうお前は一体いかほどの事をやったんだと思われていると感じて怖いですが、気になる方は動画の再生回数が選考基準となるらしいので見てください。緊張した。
 
 
 
6/12
いちごの指輪を忘れてしまった
 
6/13
朝早く起きて準備をして家を出るべき時間になってよし行くぞと思って雨音に耳をすませて寝ていた。Twitterを見ていたら気が滅入ってくる、僕の場合外に出て音楽を聴けばだいたい解決する。部屋、とくにベッドには邪気が立ち込めているのだろうか。浜崎あゆみさんの歌を聴くとクゥーッとなって燃える。身も心もボロボロになっても走り続けることを選択してしまったあゆが「そうね私には幸せな結末など似合わないことも誰よりわかっている」と歌う。本当に大切な物以外全て捨てて、どうか世界で一番幸せになってくださいマジで。
 
YEBISU GARDEN CINEMAは駅の改札から遠い上に雨。「裸足の季節」を見に来た。舞台はトルコ、楽しい生活を送っていたのに古い慣習により家に閉じ込められることになった五人姉妹、花嫁修業を強いられて長女から結婚していく中、末っ子のラーレは逃亡を画策する。ラーレの強い意志(そして圧倒的知性!)、超かっこよかった。君は正しい。ラーレのように自分の力で自由を勝ち取るものばかりではないというのも事実であって、規範を受け入れて生きていかざるを得ない人、助けが必要な人、犠牲となる者、これらの存在も描かれる。どうして女性というだけでこんなに自由が奪われないといけないのか、悲しい。古く悪しき慣習を重んじる男性社会の象徴、5人姉妹の叔父はどこまでも最低な存在として存在し、彼からの逃亡は男性の支配する社会構造を蹴散らすことに他ならない。しかし、逃亡を手助けしてくれるのは優しい男性だった。さよなら男どもじゃない。こんにちは男たち、共に生きていきましょう。
 
音楽がよかったのでサントラほしい。
 
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#ゆっきゅんミスiD2017日記 5/31-6/6


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6月は毎年ヤバイことが始まるんですが今年はミスiDでした🐇


5/31 
ミスiD書類通過のメールが。ほっとした。出す前から今年はなんとなく通る気がしていた。勤務時間中に即ツイートした。おおくぼけいさんも書類通過したらしい。ミスiD、タイミング間違ってないなと思う。ぼくとけいさんのツイートは瞬く間に拡散され、ミスiDウォッチャーの方々は男がミスiDになる権利を得たことに賛否両論プチ炎上していた。来たか!と喜ばしく思ってくれる人も多かったが、受け入れない姿勢の人も多く 主な反発/疑問としては「まだ見ぬ女の子を発見するミスコンなんだから男根のついてない生き物を選べ」「応募資格に女って書いてあるのになぜ?嘘じゃん」「女を落としてまで男を選ぶなんて!」という感じ。女を落としてまで〜、というのはミスiDになっても面白くないって書類だけの時点で判断された人が落ちて、女であろうと男であろうとミスiDになったら面白いかもしれないと思ってくれた審査員がいたから通るだけだと思うので論外。あと応募資格で諦めるオーディションとかあるんですか、私は選ばれないと思ってもやりたくて出せるなら出す。とにかく女性を選べ、というのにはがっかりする、なぜなら今までのミスiDには生物学的に女性、女の子であるということ(他にあるなら若さ)しか価値を持っていないように見える人間が評価されてきた節があるから。もちろんグランプリ準グランプリとかになる人々はそれだけではないのだけれど、ぼくはそれに嫉妬していたし「女ってだけじゃねえか!」と思うこともあった。これからのミスiDはもう女の子ってだけでは戦っていけないという審査員からの意思表明として受け取った。言いたいことがたくさん出てくるけど、ジェンダー的な発言は誤解を解くくらいの最小限に控えて、女の子と同じようにがんばりたい。男というのは強烈なフックになるけど、男なのに!?をいつまでも利用するのはぼくのやりたいことじゃない。美しさと面白さと生き様で勝ちたい。自分以外との戦いに興味ないけど、勝ちたい。

6/2 
昨日ぼくがここに書いたような議論はとっくの昔に誰かがやってるし時代遅れで性別に視線がいくのが不快、というツイートを見かけたが概ね同意 しかし性について進んだ考えを持っている人でも「誰かが言ってた」という認識であるなら「ゆっきゅんがやってた」という認識に変えていくまでだ。

ミスiD関係なくぼくは個人で約2年、モデル、ライブ、演劇、写真集やグッズの制作などの活動をしてきた。自分を希望としてくれる人がいて、何も一から説明しなくても好いてくれる人はいる。心から感謝しているし支えられている。でも、ファンのためだけに活動してはいけないと思っている。ファンの方と自分のためももちろんあるけれど、やりたいことしかやらないけど、まだ見ぬ人に届くよう社会に向けて活動していくことが大事なのだと考えている。いまミスiD2017のスタートラインに立って、それだけで、見てくれる人興味を持ってくれる人が増えている。わかってくれる人がわかってくれればいいと、思いたくない。雑な認識じゃないゆっきゅんが一人一人に届くように、誰かの何かの起点になれるように、いつかきっと私なりのすごい方法見つけたい。

6/3 
ミスiD応募したのはジェンダーを超えたいとかではない。それはもう自分の中では解決しているというか、冷静に考えれば誰でもわかることだが、ジェンダーフリーのずっと前にも後にも「生きたいように生きたい」という思いのみがあり、自分らしく生きることが図らずしてジェンダー云々を孕むことになってしまっているという感じなのだ。ミスiD2017に応募した理由としては 個人の活動をしていく中でもっと多くの人に見つけられたいと思い、待ってる人が多そうな場所に出る必要があったからと これから生きていくために大好きな審査員の方から客観的な指摘を受けたかったからというのがある。自分だけで考えるのには限界があった。山戸結希監督にラブレターを書かれたかった、大森さんの愛で見つめられてみたかった。審査員だけじゃなくて、ミスiDに注目している人がゆっきゅんをどう見るのかも、気になる。

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6/4 
クソリプとか来るようになるかと思ったけど全然こない 最高 民度高い♡

6/5 
反響は思ったよりすごいけど、まあ書類通過しただけなのでね…😅という気持ちでいたらミスiDの友人にも書類通過しただけだしねと言われて、そう、書類通過しただけなのだよとなったね

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6/6 深夜、二次審査自己PR動画で何をすれば良いのかすごい悩む。ツイートしてで出来ることをやっても意味がないなと思う。動画でしか伝えられない自分てなんだろう、歌うかなあ、動くかなあ、どうするかなあ。


2016-5-22くらい


あ、ブログの続きを書かなきゃと思いつつ、ツイキャスやろうと思いつつ、撮影、キャッシュカードを失くしてあたふた、速度制限開始、Windows勝手にアップグレードされた挙句インターネットに繋がらなくなる、などの言い訳によって特に何もできていないのだが、僕は今週21歳になるのだな。イベントなんて来てくださいと言われたから行くというものでもないし、ましてや自分の誕生日を祝いに来い(生まれて生きていることへの感謝を捧げに来い)とはなかなかいいづらいもの。誕生日は特に関係なく面白いイベントにするつもりなので来てくれるみなさんはお楽しみにね。あ、聖誕グッズは気合い入れて作ってもらったので物販は買ってください。


おとといはパルコのパーティーがあって、だいすきなh.t.maniac MENというブランド(天使とかフリルとかシャツだいたいここのだよ)を見たあと外に出たらショーをやっていて、友達が「あんなに小顔だったら人生楽しいだろうなあ」と言った。いや、どうだろう。小顔の人は「アーッ今日も顔が小さくて人生楽しい✨」となるだろうか。それはきっとエステ小顔矯正あるいはボトックスを注入したとかで、小顔に生まれた人ではなく小顔になった人にこそある感覚ではないだろうか。小顔の話だけじゃなくて、そういうのってあるよね。自分が持っているものと他人が持っているもの。



ああ、遅くなりました工藤ちゃん生誕ありがとう。詩のようなものを読んでみました
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定義は知らないけど、詩っていうのは自分の気持ちを述べるってわけではないということがわかってきたから気が楽になった。自動筆記的な部分が大きいし、自分のことってわけじゃないし、ひとつの詩がひと思いのことじゃない。僕はやっぱり、やってみてからじゃないとわからないことばかりだなどの思う。

自分の歌の作詞がしたいという気持ちにようやくなってきた。今までは怖かった。しかしまあ浜崎あゆみつんくさんも秋元康大森靖子さんも小林愛さんもいるこの世で自分が何を書くんだよ、というのは本気で思うけど。




完全にやばい雨の夜 君と会おう
家の近くの、行ったことのない、思い出のない公園で何も思い出さずに踊るワルツ 
タコが見てる

1人で自分をやること①

 

 

BOYFRIENDというZINE、解説とかなくかわいいかっこいいとかで楽しんでもらいたかったのであんまり言ってこなかったんですが、やっぱり言っとく。と、それ以降いまの自分について。

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どっちも表紙でどっちもBOY、半分ずつ違う衣装を身に纏ったゆっきゅんが同じデートコースをゆく。表紙が朝で真ん中は夜。ゆっきゅんとデートしているようにも見えるけど、真ん中のページ、夜の観覧車で向き合っているのはゆっきゅんとゆっきゅんで、結局自分と向き合っているだけといういつものオチだね。

 

年末に発表した「夢じゃない」では当時の自分自身の感情や欲望と向き合って、男子高校生の格好をするのも、振袖やウェディングドレスを着るのだって、全てが自分で、僕には夢なんかじゃないということを宣言した。自分のために超必要な作業で、色んな自分に出会えて新しい場所に行けたなと思った。

 

そのあと、夢じゃないを見ていて、戦意むきだしの目が怖いなと思って今度は距離感の近い朗らかなZINEをつくろうと思って作ったのがBOYFRIEND。

 

距離感が近いといえば恋人でしょう、デートなんてしないけどそういうことに挑戦しようと思った。メンノン男子大学生ゆっきゅん(普段のゆっきゅんとは遠い)とかわいい服を着た男の子ゆっきゅん。二人の関係性と個人の設定はゆっくり時間をかけて考えた。2月は坂口健太郎さんに心酔していたので、1週間でメンズノンノの坂口健太郎さん表紙号を集めるなどの芸当をして、理想の男子大学生の設定としては大学の哲学科でどんな音楽が好きで自意識とかなくて、みたいな。かわいい方のゆっきゅんは楽に考えられたけど、理想の男子大学生、ぼくだって男子大学生なのに、その要素すら他者でしかないことに気付いて心を痛めたりした。大学生の服は持ってないからシャツもパンツも靴も買った。だからコスプレです。マジの自分の虚像をつくりあげてそれに恋しようとしていたそれは病気だと思う。

 

先にそのメンノンボーイの撮影をした。自意識が指先まで行き届いてしまっているぼくはアイスをどうがんばっても可愛く食べてしまうので大変だった。足、ひじの開き方、手、どれも力と意識を抜くのがかっこよさなのか…と学んだ。(少年アヤさんの著書にもこんなことが書いてあった気がする。)イケメンに関する知識が尋常ではないフォトグラファー梅谷英恵さんと撮影するのは有意義で楽しかった。別日、かわいい方も難なくたのしく撮影した。出来上がった写真を見て、男子大学生になれたなと思った。

 

夢じゃないを作ったあとに気づいたのは、ウェディングドレスやロリータを着てる写真は自分自身の意志が強く写真に現れているということと、男子高校生と美少年の写真は擬態でしかないということだった。自分はそれにもなれるけど、それはなりたい自分であって、自分の中にあるものではなかった。BOYFRIENDでも同じで、男子大学生の自分は自分だけど、自分から出てきたものではなかった。

 

ぼくは前からポップアイコンになりたいと公言していて、なんだそれはと思っている人もいるかもしれない。僕は既成の社会的性別から見ればいびつで、見づらいだろうしわからないだろうし、困惑する人もたくさんいるのは知っている。誤解されるし変な質問をされるからジェンダーがどうのということを発言することもあるけど、それは必要に迫られてしているだけという感じで、僕の仕事は社会活動じゃない。「男性なのに○○」みたいな切り口を、ポップに可愛く美しく気高く超えていきたい。そのためには「ゆっきゅん」というある程度定まったイメージが必要なのに、いまのゆっきゅんはバラバラに拡散してしまっているということに、ようやく気付いた。セーラー服を着ていたころ(そんな時代がありました)はわかりやすかったなーとも思った。

 

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明日(たぶん)につづく。