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自分

ゆっきゅんオフィシャルブログだよ

ぼくがミスiDを受けたのは

 

ブログの書き方ならば忘れてしまった、お久しぶりです。今更すぎるようなこと、けれども遅すぎるということはないだろうってことにして。似たようなことは何回も書いてるけど、終わってしまう前に、始まってしまう前に、書いとこ。

 

ミスiDに応募したのは今年が初めてではない。2014年の春に大学進学で上京したぼくは、アイドルや芸術を見るために東京に来たのだけど、上京即、自分もしかしてアイドルをやりたいかもしれないと思いはじめていた。そんなときにミスiD2015というオーディションを知った。審査員は好きな人ばかりだった。何をどうしていいのかもわからぬまま、何かを他人に期待して応募した。男がミスiDって面白いでしょ、くらいの甘えだった。見つけてくださいと無邪気に思っていた。もちろん書類で落ちて、男だから落ちたのだと決めつけて、そんなもんかよつまらないと思った。

 

昨年のミスiD2016は、出さなかったし、見れなかった。去年落ちた(というか、誰の目にも留まっていない!)ぼくがミスiDツイートをしたら負けだという意識があった。ゆっきゅんがただのミスiDウォッチャーになるのは自分の中ではダサいと思っていた。これはただの嫉妬で、特定の誰にということではなく「女性というだけの価値だけで」と思っていた。

 

さて今年は何で応募してしまったか。

ぼくは2014年ミスiDに落ちたくらいの夏からゆっきゅん活動を開始した。女の子のアイドルに憧れていたけど男だからオーディションには受からないし、男性が活躍する場所は自分が輝ける舞台とは思えなかったし、誰の言う通りにもできないから、1人で活動してきた。仕事の依頼なんて滅多にこない。自分がやらなくてはいけないこととして個展をしたりした。昨年末には美しさを説得力にしたかった最高のセルフストーリー写真集「夢じゃない」を発表して達成感もあった。しかし今年の春は、正直行き詰っていた。ライブもやりたいモデルもやりたい演技もしてみたいアイコンになりたい、なんかじわじわ知られてたりするけど仕事も予定もほとんどなかった。

2月だったか、AKBのドキュメンタリー映画を見たことがあった。前田敦子さんがステージ裏で過呼吸になって倒れているのに「あと20秒でステージ出るよ、行けるよー」と言われてフライングゲットのセンターで歌っていた。どう見ても地獄だった。前田敦子さんの美しさなんて、過呼吸フライングゲットをしないと手に入れられないものなのだと思った。芸術作品を全て自分に引き寄せて鑑賞してしまうぼくのことですから、この苦しみを経験できないことのやりきれなさを思った。ゆっきゅん、活動に、苦しみが、ない説。今まで誰とも比べられてこなかったし、ゆっきゅんはまあゆっきゅんだからという感じでしょう。このままではガラパゴス、数少ないファンの皆さまに支えられ、細々と何年も続いてしまう。それでは困る、社会にでないと、いけないんです。

何者にでもなれる黒髪をやめて金髪王子様になり、やっとオリジナル曲を作ることにしたそんなときに現れたのがミスiD2017だった。なんだか、今年なら行ける気がした。2年前の自分とは違うから。男がミスiDwww以上の面白さが自分にはちゃんとある。ミスiDに出てなにかになろうというのではなく、今自分のやっていることをミスiDを通して多くの人に知ってほしい。もっと自分と戦いたい。ぼくは自分がやりたいようにやることで救える人がいると思ってしまっているし、まだまだ見えないところに自分を探している人がいると信じている。ゆっきゅんを探していた人に会えたらいい、その場所として、ミスiDは間違っていないだろうと思った。

ミスコンという概念自体や、一方的な「きみはアイドル」というまなざしの無自覚さには疑念を抱かざるを得なかったのも事実だ。自身が男性であることに自覚的になっていけばいくほど、女の子可愛い!という感情にさえ罪を感じてしまうでしょ。男性のぼくがミスiDにもし通ったなら、それは「女性であるという価値」を無視したことになるわけで、女の子にとっても甘えてられないマジのミスiDが始まってくれるんじゃないかなという希望があった。神木隆之介佐野ひなこと付き合っていると聞いて「俺がミスiDグランプリにならないといけない」と強く思った。もう一度言う、神木隆之介佐野ひなこと付き合っていると聞いて「俺がミスiDグランプリにならないといけない」と強く思ったのだ。

 

そうして書類通過したとき、2年前に落ちたのは性別のせいではなかったと思ったし、今年通ったのも性別のおかげではないと思った。「ゆっきゅんは書類の写真が美しかったので迷わず通しました」って言ってくれた。ミスiDに応募したのは間違いではなかったよね。