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自分

ゆっきゅんオフィシャルブログだよ

全身で恋した季節ー山戸結希『溺れるナイフ』

「そのころ私はまだ15歳で、全てを知ることができる、全てを手に入れることができる、全てを彼に差し出し、共に笑い飛ばす権利が自分にのみあるのだと思い込んでいた。私が欲しているのは、身体を貫くような眩い閃光だけなのだ。目が回るほど、息が止まるほど、震えるほどーーーー」


 このモノローグが流れるタイトルバックは、東京から田舎へ引っ越してきた元ティーン誌モデルの望月夏芽と土地に代々伝わる名家の息子コウが海へと飛び込んだ瞬間に始まる。どう見ても、海っていうか恋に落ちているだろう。二人の出会いは神さんの海と呼ばれる立ち入り禁止区域だった。強引にも海を恋と捉えるならば、恋とは時に荒波のように激しくなるものであり、人間の支配を超えたものであり、そこにあって当たり前の抗えぬ存在なのだ。神懸かった光を放つ少年に導かれて共に海へとドボン、つまり身体が限界状態にある中で象徴的に物語の始まりが告げられる。その後全編にわたって、心情そのままを表すようにして身体が酷使される。コウという閃光に身体を貫かれてしまった夏芽は、その光に追いつきたいと、全身全霊で恋をすることになる。二人以外は立ち入り禁止のその恋を。

 
 コウちゃんに追いつきたい、という気持ちは文字通り「追う」動きに表れる。夏芽が通学路で自転車に乗ってコウを追いかけて並走するシーン。モデルをクビにされたんだろとコウに言われた夏芽は、著名な写真家広能晶吾から写真集を作る依頼が来ていることをコウに自慢する。けれども興味なさげなコウ。二人の位置関係は何度も前後する。山で夏芽と広能が写真集の撮影をしているシーンでは、突然コウが現れて石を投げ、「この山は俺のもんじゃ、そいつ(夏芽)も俺のじゃ」と言って逃げる。夏芽はコウを追いかけて走り出す。追いつこうと必死で走る(手に持っていた美しい花々を山道に落としながら)が、コウは軽々と飛ぶように逃げてみせる。ここでははじめて、コウの追いつかれまいとする意志が見える。夏芽は諦めて仰向けに倒れる。こちとら命がけの恋をしておりますので、濡れるとか汚れるとか気にしてる場合じゃないのです。そして写真集が完成し、夏芽が「写真集、できた」とコウに言って逃げると、コウが追いかける。逃げて走って水路に倒れろ、心も体もずぶ濡れだ。写真集をコウに見せた後、さらにコウちゃんがくれたサイダーに濡れてそのままキス、菅田将暉の美しい喉仏が収まったところで二人のチェイスは一旦終了である。最初は夏芽がコウを追いかけていただけだったが、コウも夏芽を追いかけるようになり、二人の気持ちが通じた。一方で、コウに追いかけられる夏芽の気持ちは、コウを追いかけているときと変わらなかったのではないかという疑念が残る。夏芽はコウの心を追い抜くということはなく、追うときも逃げる時もいつだってコウに勝ちたくて、追いつきたくて、走っていたのではないだろうかということである。考えるより先に身体が早い。山、風、水と共にある夏芽の溢れる恋そのものだった。
 
 夏の伝統行事火祭りでのある事件の後、二人は別れてしまった。高校に進学し、夏芽の元へ現れたのは中学からのクラスメイトの大友だった。夏芽は大友を決して追いかけない。二人の動線はぐるぐると回った、進んでいかなかった。大友はいつでも夏芽のいる場所に来てくれたし、やさしく隣に座ってくれた。そんな大友に惹かれてゆく夏芽だったが、二人で椿の蜜を吸っていたところをコウがバイクで通り過ぎると、コウに視線を奪われ椿を口から落としてしまう。夏芽って本当に自制が効かないよね。大友といると笑顔になれるけれど、やさしい気持ちになれるけれども、駆り立てられない何かがある。新しく映画の主演をやらないかと依頼してきた広能が訪ねてきて、今の君は昔のような光がないと言われたときには、大友をフェンスの向こうに置いて、悔しくて悔しくて走り出し、川辺(またしても大事なシーンで水が近い)でうずくまって泣いてしまうのだった。私は私の力を使いたいという心に、気づきだしていた。
 
 どこまでも抗えぬ光、追いかけてしまうあなた、あるいはいつでも私の隣にいて寄り添ってくれるあなた。ごめんなさい、一緒にはいられない。私は東京で女優になります!少女映画において何と新しい提案であろうか、ハッピーエンドは私が決めるよ。(監督も仰ってたことだが)現代の女性が本当に自己実現をしようとしたとき、一番惹かれる男性とも、一番そばにいてくれる男性とも、添い遂げられないのだなんて!真理が過ぎる。夏芽にとって身体を貫く閃光とはコウちゃんのことだけではなかった、カメラのフラッシュこそ夏芽を貫き、遠くまで連れて行ってくれるものだったのだ。「わたしが前に進む限り、コウちゃんの背中が見えるよ。思い出す、コウちゃんを、ずっと思い出すんだよ」浮雲での恋を胸に東京で生きてゆく。大自然の中で、持て余す思春期の肉体で思うままに走って倒れてびしょびしょになって、全身で一生分の恋をした夏芽。もうそれだけでずっと、生きていけるのだ。