ジェジェジェジェンダーレス
純喫茶と川上未映子
下妻撮影前夜
小学三年生9さいになった初夏、人生開始。ある朝、ズームインにて下妻物語という映画が紹介された。ロリータファッションの深田恭子と特攻服のヤンキー土屋アンナの友情物語。ロリータ、という言葉自体知らなかったけれども一目見ただけで「これはぼくが見に行かないといけないものだ」ということがわかった。それまで映画といえばポケモンの映画(ポケモンは全然知らない)や踊る大捜査線(レインボーブリッジ封鎖できない)くらいしか見たことなかったし、自分の意思で映画を見たいと思ったことはなかった。「下妻物語っていうのが見たい」と母親にしつこく言い続けて一週間くらい経った頃だっただろうか、小学校から帰った平日の夜、母親は岡山駅の近くの映画館にぼくを連れて行ってくれた。芸術を前にドキドキしたのも、初めてだった。映画が始まると、ああ、まさかこれはきっと僕が求めていた僕の知らない最高の世界。こんなに楽しくてかわいくて面白いものが、あったんだ。深キョン…深キョン!ヤクザが小指切るシーンで母親は僕の目を押さえたけれど、指の隙間から全て見えていたよ。上映後パンフレットを買ってもらって、その日のうちに隅から隅まで読んだ。胸のドキドキはずーっと、ずっとずっとずっと収まらなかった。
テレーズそうですそうなのです
敬愛している浜崎あゆみさんの歌詞には大切に思う他者に対して度々語られる言葉があります。それは「君は変わらずそのまま君でいてほしい」という事と「どうか君だけは僕のことをわかっていてほしい」ということです。かねてよりいささか贅沢な要望だなと思っていたのですが、だからこそ彼女は犬を7匹(?)も飼っているのだと最近納得しました。ワン!
2月後半見たものなど思いつくままに書いていく
2-26 キャロル
以下、ネタバレとかは気にしてない
映画「キャロル」。昨日ふと思い立って家を出て前情報なしで観に行きました、女性同士の恋愛ということも知らずに!舞台は1950年代ニューヨーク、クリスマスの季節。おもちゃ屋で働く写真家志望のテレーズ(ルーニー・マーラ)は娘へのプレゼントを買いに来たキャロル(ケイト・ブランシェット)に出会う。キャロルが店に忘れた手袋をテレーズが家に送り届けたことから交流がはじまり、二人は惹かれあっていく。
テレーズの、これはまさに初恋の映画なのだった。恋とは超越、それまでの自分の経験をはるかに超えた場所で出現してしまう決して抗えないもの。結婚を望む彼氏のリチャードはいるけれど、別に好きじゃないし。あの日から同性であるキャロルのことばかり考えてしまう。この恋は交流から芽生えたものではなく、おもちゃ屋にキャロルが現れたときに始まっていたものでした。こんなに一目惚れが伝わる撮り方ってあるんだね。
セリフが多いわけではなく、恋愛の映画だけど感情的にぶつかり合ったりするシーンもない。あっさりと見えるかもしれない。しかし二人の気持ちはさらっとなどしていない、たしかに心は震えていた。それは二人の瞳から見て取れること。どう考えてもテレーズはボロボロになったと推測するけれども振り返ってみれば彼女にとってきれいな思い出なのだろう。映像、50年代のファッション、音楽、そして俳優たちのどこを切り取ったって、上品で美しいものだった。
冒頭で現在→数か月前からの出来事→今(冒頭)、という構成。夜の街を映す こだわり抜かれたワンカットからレストランへ入ると、映画に招待されたような気持ちがする。食事をするキャロルとテレーズのやり取りや表情から二人の関係や過去を推し量ろうとしていると出会いのシーンへ移り、あれがこうしてそうしていろいろあって、ラストで冒頭のシーンへ戻ってきたとき、嗚呼映画の喜びよと思いまちた。冒頭では理解しきれない二人のあのような表情を深く読み取ることができるようになる幸福。良い。
同性愛を描く社会的な映画になっていないのもよかったし、出てくる男性がみんなどうでもいい感じで描かれててさよなら男どもって感じでウケた!サントラほしい、フライヤーのデザインが全部良い。
今はリリーのすべて見たい見たい症候群です
2-18、19、20 大森靖子さんのライブ
連日通いました。3日目のHMV&BOOKSの接触(好きなので本当に苦手)で言うことがないな困ったなと思ってたら順番がきて口がすべって「あ、あー、喋れない、あー、大丈夫だよって言ってください」って言ってしまって大森さんに「大丈夫だよ」って言わせて、接触終了後知らない洋書の本棚まで競歩してボロボロ泣くっていう愚行をしました。参ってたんだね。大森さんは愛の戦士、やさしい。愛してる.comは俺たちの歌だ。
今まで何度も東京を歌ってきた大森さんの新譜「TOKYO BLACK HOLE」が心底、心底、心底楽しみで仕方なくてそれまで幸せな時間を過ごす、何度も何度も何度も何度もって感じ。
2-27 ステレオテニスさんの個展「WHATEVER」@中目黒VOILLD
個展に行くのは初めてだ~と思っていたらこのような個展ははじめてらしい。見てこれ、超かっこよくない!?!!!!???ニューヨーク、香港、インドへの旅行で得たインスピレーションから制作されたポスターたち。精度と量とセンス、かっこよすぎ。私は80年代のことはよく知らない私から見ても最高で、やはり自分の好きなことを究めてやりきってる人が一番かっこいいって思った(n回目)。
私はこの展示で完全にビビビビッときてしまって命がいきり立ち、ぬるいことをしてる場合じゃないなってなりました。超良いグッズだけを作りたいし、超良い自分でありたいし、超良い活動をしていきたい。さっきもオーディションに書類で落ちた連絡きて、ハイ私は自分でやるしかないですハイってなりました、がんばるよー!
おしまい
2016-2-12
2016-2-11
夢じゃなかったこと
今日も明日も自分語り、いっくよー!
昨年の夏から秋。好きな俳優の人やアイドルに会いに行くときは決まってラブレターのワンポイントモチーフがついた白い靴下を履くようにしていた。僕は足の指の毒素が人一倍みなぎっているらしく、2回着用したくらいで靴下が破けたので現場に行く前にその靴下を買った。だから5足くらいはある。昨日、久しぶりにその店に入った。何を買うつもりでもなくふらふらして、靴下のコーナーにたどり着き、ラブレターの靴下を探したらもうどこにも置いてなかった。あの頃の僕ももうどこにもいなくて、時は流れたのだなあっという間に。
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さて同時期昨年の下半期に何をしていたかというと、それは写真集「夢じゃない」の制作それが全て。こんなことは今までになかった。僕はきっとすごいものを作らないといけないのだという傲慢な使命感、 この溢れ出る感情と揺れ動く自分それでも揺るがない自分のひとつひとつを丁寧に見つめてあげて何か作品に昇華しないとどうにも生きてはゆかれないのだという確信に突き動かされてあっという間。確かに戦っていた、走っていた、そして進んでいった。僕は嘘がつけないから顔に全部出ていて、強すぎる。なんでロリータのフリフリを着てお前はそんなに死闘のような表情しかできないんだよと今なら笑えるけど泣きそうにもなる。笑えるほどに必死だった。どの写真も僕の人生だし、時間ないしお金ないいけど妥協できない。がんばったねって言いたい。よく乗り越えたねって言いたい。僕はやっと今、一瞬だけ自分を自分で抱きしめてあげたいと思える。
協力してくれたみんなのおかげでなんとか間に合って写真集ができて、展示の準備ができて、サイコーだなとは思っていたけど それでも不安だった。これが自己満足だったらどうしようと思った。誰にも愛を残せないものだったなら死にたいと思った。そして初日から想定以上にお客さんが来てくれた。楽しみにしてくれていた人、はじめて来てくれた人、友達の付き添いできてくれた人、たまたまDMを見つけてきてくれた人、一人ひとりがうれしかった。
みなさまの感想をまとめました、置いてたノートに書いてくれたひともありがとう
ゆっきゅんのことを見てくれて、何か感じてくれるひとというのはみんな真面目に生きているひとで、どこかでなにかに傷ついている人ばかりだった。真面目に生きてると屈折しちゃうよね、傷ついちゃうよね。僕は「自分が救えるひとがきっとどこかにいる」と根拠のないことを信じて活動してきたけど、たしかにいた。自分が救える人が存在していて、僕が抱きしめてあげない人たちがいる。確信になった。
しかもそれは男女関係ないことだった。思っていたよりも男性が来てくれた。男性の友人はほとんどいないし、いつも来てくれる男の子は一人だけ(ありがとう)なのだけど、はじめて来てくれる男の子がたくさんいた。「ゆっきゅんさん尊敬しています」と言ってくれた。ある面では男女関係ないと思っているけど、ある面ではまだ男女にこだわらないといけないといけない。ロリータを着て、ドレスを着て、自分を男子と言い張ること。受け入れるとか受け入れないとか認めるとか認めないとかそんな上から目線で見られるのはご免だし、正々堂々これが自分なんで、どう思われたっていい。でも写真集制作中に特に誰に見てもらいたいかと考えたとき思い浮かんだのは男性だった。弱い考えだけど、こんな自分が男性であることを男性に肯定してもらいたいと思った。だから、来てくれた男の子が自分を男性として見てくれたのが本当にうれしかった。「あ、いいんだ」って思わせる側の自分が「あ、いいんだ泣」って思えたんです。。
(このあたりの性自認についてはどんどん変わっていくと思うのであくまで今の気持ちとして捉えてくださいね)
そんなこともあって少年アヤさんに帯をお願いしていました。
少年アヤさんは僕が高3のとき、アヤさんがオカマを自称(自傷)していた頃からブログを一方的に読んでいてファンだった。自分と戦いつづける自分を書きつづけていて、その文章を読むのはつらいときもあるのだけど、勇気をもらっていたのでした。アヤさんは以前アイドルや俳優に入れ込んでいた過去があり、僕は昨年初夏にそのスタートラインに立った。「なりたい」なんだよねわかる。。。そのころ「少年アヤちゃん焦心日記」を読み直したことが、「夢じゃない」を作るきっかけにもなった。どんなに地獄でも僕も自分と正面から向き合わないといけないという決意につながって、写真集を作ることにした。そんなアヤさんに書いてもらった帯がこれです。(大好きだけど恥ずかしくてあんま言えないからお仕事としてお願いしてラブレター書いてください♡と思ったの)
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夢だと笑うひとに、このうつつは見えまい
滑稽なほどうつくしい写真に、
夢のようだと見とれた人から、
この現実に置いていかれる。
それは惜しいことだ。
ぜったいに着いていかなくてはいけない。
僕たちも全力で、ゆっきゅんに。
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アヤさんが僕にDMをくれたことがあった。モンスターカフェでのお客様からの心ない質問にいちいち傷つく僕に「どうか負けないで。負けないことに価値があるから。」と言ってくれた。アヤさんは一度オカマを自称して傷ついた経験があり、僕のことを「オカマと言わなかった自分」と思ってくれている。1人の戦いじゃないんだ。絶対に負けてはいられないと、強く思いました。自分がこうして生きていることを現実として見せていく、それが僕の、自分との戦いです。着いてきてね。
展示が終わってからもう三か月くらいは経った体感なのだけど、まだほんの一月しか経っていないらしい。作りはじめから今までを数えても半年くらい。ラブレターソックスを買い始めて半年経ってわかるけど、あの頃すぐ穴が開いていたのはどう考えたって精神の現れです。心がボロボロダダダダギュンギュンで、足の指にまで毒素が行き届いていたってことだと思う。今、全然穴あかないし。どれもずいぶん前のことに思えるのは、進んでいるから。「夢じゃない」をスタートにして過去にして、どんどん進んでいく。救える人がいることに気付いたから。一生孤独でも、見てくれる人はいるから。
ゆっきゅんはおわらない